HOLLOW SUNS

Day16-2021/1/1〜Day17-2021/1/2

元日の今日、そして明日はじっと家で過ごす。コロナに加えて年明けということでお店も軒並みしまっているからだ。
ウィルは朝から近所の家族に軽く会いにいく。本当は僕たちも挨拶したいがコロナだからしかたない。

嫁さんには年明けから悪いが、歌詞の添削や予習を手伝ってもらった。プリプロの段階で構成が変わり、歌詞を増やした箇所がいくつもあった。さらにNamelessの反省から事前に予習が必要なことがわかったためレッスンをしてもらった。付け焼き刃でも声をセーブするためにできるだけ録音の時間を短縮したい。そのためにはNGテイクを減らす必要がある。
嫁さんも嫌々ながら付き合ってくれた。

その夜、連絡が入ってハンクが家族の事情で年明けから参加できなくなってしまったと告げられる。ウィルは手術した手がまだ万全ではなく、アシスタントがいないとかなり辛い状況だということは知っていたので、一瞬かなりびっくりしたが、彼は代打にTigers Jawのコリンをすでに手配してくれていた。コリンはStudio4でアシスタントとして働いていた過去があり、Title Fightなどの作品にも関わっている。アンプのセッティングは誰よりも彼がうまいらしい。「Floral Greenの音は全部コリンだから、問題ないっしょ!?」とウィルの一言にはもう「押忍」で返すしかない。Title Fightの名前はもう水戸黄門の印籠なのだ。

ハンクは残念だが、コリンとの作業も楽しみだ。

Day18-2021/1/3

朝一でコリンがやってきてくれた。彼とはTigers Jawの来日の時に少し話した程度だが、僕は彼や、彼の周辺のバンドやクルーのファンだ。だから今回はイレギュラーとは言え嬉しい代打アシスタントだ。来てくれたことにお礼をいうと、TJのツアーが軒並みキャンセルになってしまい本当に暇だったらしい。音楽と関わることが出来て嬉しいよと言ってくれた。
さらに、ウィルのアシスタントのジャスティンもこの日から参加してくれる。彼は非常に大人しい性格で、アメリカ人らしくないがエディット作業などは非常に正確にこなす人物らしい。

今日はまずボーカルから。この日から最終日まで連日、10曲歌い上げないといけない。声が枯れて出なくなったらアウト。アルバムの曲数を減らす事になる。今日から1日2曲のペースで片付けるとウィルからの宣言も出た。だから喉を使う曲、割と楽な曲などペースを考えないといけない。今日はGravity、Searchingをセットにすることにした。

予習もあってかNamelessの時よりはてこずらない、しかしとにかくやり直しまくる。
発音の指摘もがんがん飛ぶし、どうしても正しく発音できないリリックはその場で単語を変える。
指摘が入って自分の間違いに気づけるときはまだいいのだが、指摘されてもなにが間違っているか、ネイティブでない僕には判別できない時がある。もうそうなったらお手上げで単語を変えるしかないのだ。 正直この日から最終日まではずっと不安なまま心が晴れない。やり切れるのか不安で仕方なく、あんなに来たかったスタジオなのに逃げ出したい気持ちになった。

Gravityは大体1時間半くらいで取り終え、キー的に簡単だと思われたSearchingへ。しかしこれはこれで難しい。静かな曲は全面的にキー修正出来ないと言われた。修正すると目立ってしまうので、全て自前で上手に歌わないといけない。本当に先に言って欲しかった。やってみてわかったが、静かな曲の方がニュアンスが難しい。Searchingは今回のアルバムで初挑戦の曲調だった。どの曲を選んだとしてもどのみち地獄なのだ。

この日もボーカル録りは予定時間をオーバー。残りのわずかな時間でコリンとギターを取った。ウィルは別件があるということで席を外していた。

帰宅して、Namelessを自宅のスタジオで軽くミックスしてくれたのだが、我が耳を疑った。めちゃくちゃ音がいい。まるで自分の音源ではないかのような音なのだ。震える程感動した。

このミックスで自身の作業の方向性が間違っていないということをウィル自身も確認しているようだった。
日本のレコーディングスタジオではその日に作業した分はWAVデータに書き出してバンドに渡してくれるのが普通だが、彼はそうではない。その理由を聞くと「中途半端な状態で渡すとあれもやりたい、ここを直したいと始まって収拾がつかなくなるから」だそうだ。大物になればなるほどその自己主張は激しいようで、全部彼らの言い出すことを真に受けていたら期間内にレコーディングが終わらないので自然とそうなったようだ。故に、音は記憶に焼き付けるか、iPhoneでこっそり動画に取って聴き返すしかない。自分の音源なのにリークみたいなことをしないといけないのはなんともシュールだ。

そして、この日から僕はボーカル録りのために全ての無駄話に禁止令が敷かれる。まぁもう英語をしゃべるのにも疲れていた頃だったし丁度よかったのも正直なところだ。

眠い目を擦りながら、小声で次の日に録る曲の歌詞を嫁と予習したが、疲労困憊だったため気がつくと寝てしまっていた。

Day19-2021/1/4

朝スタジオにいくとコリンがスタジオに泊まっていたので驚いた。ずっとツアーしているからどこでも寝れるんだそうだ。近くにお兄さんの家があるからそこを当てにしていたようだが、なんとコロナになってしまったそうで結局スタジオに泊まることになったらしい。

午前中はコリンと2人きりで作業した。ウィルもコリンにはハンクのように指示せず、好きなようにやってくれとのことだった。それだけ腕を買っているよう。
ギターのリードにはFenderのアンプも多用したが、僕はあまりFenderに慣れていない。そこをコリンは的確に補佐してくれたし、横で見ていて勉強になった。

午後はDeep Downのボーカルを録音。
クルー内で推しの曲だっただけに、ウィルもボーカル録りは気合いで望んでくれた。気合いがすごいので「ここはDOJO(道場)だね」と言ったら、それ以降「DOJO」はクルーのネタに。「BONES!! DOJO!!」という訳のわからない内輪ノリが生まれた。
どうにか取り終えたが結構喉を酷使してしまった。痛みもあるし、結構声が引っかかるようになる。正直なところ、もう不安で不安で仕方ない。それでも明日も明後日もレコーディングは続く。耐えねばならない。

本来メンバーと渡米していれば、誰かの作業中に確認したり、休んだり、歌詞を考えたりできるが今回は全て自分1人で取り組まなければならない。どんなに疲れていても帰宅して、夕飯を食べた後の時間を使って予習しないといけないが、朝から晩までスタジオで作業すると体力が保たない。

結局この日は予習もそこそこに寝てしまう。

Day20-2021/1/5

朝一番でシャワーを浴びながら、声が出るか恐る恐る歌ってみる。この瞬間が本当に恐ろしいがここから最終日までは毎朝それを繰り返すこととなった。

「おはよう」とウィルに言うと、「しゃべるな!」と怒られた。それ位いいだろとは思ったものの、ここのボスは彼だ。素直に従おう。

この日も午前中はコリンと2人で作業。リードギターは得意科目なだけに楽しい作業だ。この日はDry Outのリードを録った。Dry Outはアメリカに来て構成が大きく変わったためデモがない。なのでスタジオでアイデアをコリンと練った。歌が映えるようとにかくシンプルにただオクターブを弾くのが良いという結論に。今までの自分ではあり得ない選択だったが今回はそれで行ってみることにした。

喉も痛いし、歌詞も短いからという理由で、自分でWhen It's Overをチョイスした。
今思うとウィルは「あぁついにそれですか」という顔をしていたのだが、その時の僕にはわからなかった。またしても地獄の扉を開けてしまったようだ。
ほぼ囁くように歌うこの曲は、Searchingよりもシビアで、キー修正は一切なし。ガチで歌わなければならず。もう一言目から全くOKが出ない状況になってしまう。本当にやってもやっても終わらない。やっている方も辛いが、横で聞いている方もさぞ辛かっただろう。

わずか10行〜15行ほどの短い歌が永遠のように感じる。
ずっと低い声で囁いているのも実はかなりしんどい、段々マラソンをした時のように酸欠で視界が青く見えてきてしまい、ウィルに心配される(Studio4あるあるで、倒れる人もいるらしい)。1時間半程やったあたりで1回休憩。全然進まない。情けないやら、悔しいやら、申し訳ないなやらで、感情がぶっ壊れ、俯瞰で自分をかえり見たせいか「ひひひひぃ」と笑ってしまったのだが、スタジオにいる全員「やばい、Bonesが壊れた」と目を合わせたらしい。生まれて初めてマイクの前で涙が出そうになった。投げ出したい気持ちマックスではあったが、アメリカまで来て10年来の夢から逃げる訳にはいかない。ウィルが諦めるまで諦めないことが唯一の使命だ。

ちなみに、ウィルの使っているボーカルマイクはローリンヒルが使ったまさにそのマイクだそう。ものすごく温かみがあってクリアに音が録れる。値段も超高いらしい。それだけにこの曲では正確なボーカルが要求され、ひたすら追い込まれる。この時の映像があるがとても人に見せられない。もうとっ散らかりすぎて、顔が福笑いのようにガチャガチャになっているからだ。
結局合計3時間ほど格闘して命からがらボーカルを録り終えた。
もう体力が1ミリものこっていない、帰宅後ベッドに倒れ込むように眠った。

Day21-2021/1/6

今日から作業はボーカルのみ。やっと少し楽になった。
From the Insideといよいよリードシングル候補のDry Outを録る。

From the Insideもそこそこ時間が掛かったがどうにか午前中で取り終えた。

そしてDry Outへ。今までボーカル取りの実作業は、ウィルの手に痛みがあるため、アシスタントが変わるがわる行っていたが、Dry Outは本人直々に取り組んでくれた。それくらい気に入ってくれた曲だったようだ。
この曲はキーが高い。チューニングも実はこの曲だけはレギュラーだ。下げることもできたのだが、最初のインスピレーションを大事にしたかったのであえて下げなかった。
スムーズとは言い難いが、ここまで連日スパルタでやられるともう精神的にも慣れがきて「Sorry, one more!!」と自分から言えるようになった。テイクが良かったか悪かったか自分でも判断できるようになってきたのだ。この辺りから、喉は痛いものの、なぜか声も出続けるようになった。筋肉が慣れてきているんだとウィルからは聞かされた。人間の体は不思議だ。

僕のインスタグラムにも載せたが、最初のプレイバックは想像を絶するほどに良かった。何度もやり直す作業があってこそ、緻密に音が積み上がり、グルーブとトーンが生まれる。だから個々の音がそれぞれの帯域ではまり合うことが必要なのだ。そして何度もやり直しているせいもあるが、これが自分なのか?と言わんばかりの音になる。ここまでどの曲でも同じように思ったけど、Dry Outは何か特別だった気がする。

最高にいい気分だったのだが、スタジオで余韻に浸っていると「トランプ派の襲撃」の事件がスタジオに飛び込んできて、皆iPhoneに釘付けになる。国会議事堂に押し入るなんて前代未聞だ。
そこから話は人種差別の問題へ発展。仲のいい白人とアジア人でこの手の話ができることは興味深い瞬間だった。白人社会の中でアジア人、有色人種として生きることは僕らの想像を超えているようで、とてもショックを受けた。僕はアメリカのカルチャーや音楽・エンターテイメントが大好きだが、1ヶ月近くアメリカにいて日本と言う国の良さも見えた気がする。アメリカには魅力的な部分も多く存在するが、破綻している部分は本当にひどいようだ。
ウィルは僕らの帰国後に激化する、アジアンヘイトに対して寄付を募ったり、抗議する運動を起こしている。ぜひ興味があれば彼のインスタグラムをのぞいてほしい。

前日でギター録りを終えているため、この日がコリン、そしてジャスティンの最終日だったことを突然告げられた。「あれ?いってなかったっけ?」いえ、聞いてません(笑)。そこは非常にアメリカ人らしかった。
「いいアルバムになるよ、最後までがんばってね」と2人は言ってくれた。偶然とはいえブラザーが増えたのは嬉しい。Tigers Jawは僕にとってかけがえのないバンドになった。

Day22-2021/1/7

今日からは、僕と嫁とウィルで3人でスタジオにいく。アシスタントはいない。作業も残り少なくなってきた。別れが近い証拠でだんだんと寂しくなる。
フィラデルフィアでの日程を消化したら、4日ほど僕ら夫婦はニューヨークで過ごしてから帰国する予定で、スタジオに向かう車の中でウィルと細かく詳細を話した。建前上、そのような話をしたものの、ボーカルレックのノルマはまだ4曲もある。でも、喉が痛いし、会話する時の声もガラガラだ。嫁さんから「そろそろニューヨークのホテルを予約しようか?」と言われたものの、最後まで喉が保つか自信のなかった僕は一旦それを保留にした。もしかしたら最後まで保たないかもしれない。そう思っていた。

今日はRewinding the Time、Learningを録音する。どちらも難しい曲だ。
歌詞の添削を先にやって歌うと言うシステムが今更ここで登場。ばーっと歌詞を見直して歌い始めた。
Rewinding the Timeはずいぶん前に書いた曲で、アメリカで歌うのは感慨深い。ノルマの半分をすぎてボーカルレックも小慣れてきた。各曲1時間くらいで終われたと思う。喉を温存するということで今日は早めにお開きにした。

帰りにクリスティーナと合流し、ターゲットに日用品の買い出しに行った。
店内でそれぞれのカップルに別れた際、嫁とこっそり家主の2人に当てて置き手紙を書くためのカードを買った。

普段のレコーディングでウィルは、スタジオでは一日中バンドといるものの、その日が終われば帰宅してクリスティーナや、1人で時間を過ごす。しかし、僕の場合は「おはよう」から「おやすみ」までほぼ24時間一緒だ。彼の人生でそんな風に過ごした人物は僕と、嫁が初めて、物心ついてからは親ですらそんなことはないと言っていた。そう言われてはっとした。冷静に考えると僕にとっても同じだからだ。お互い国を隔てて、巡り巡ってこの地で時間を長いこと共有している。なかなかしんどいが、素晴らしい人生経験だ。
その夜、嫁さんと「ウィルは今回、俺がブロだって言う理由だけでレコーディングを受けてくれたのかなぁ?」と話した。無名のHollow Sunsのレコーディングはウィルにとってあまりメリットのない話だし、何故それをグラミー賞にまでノミネートされたバンドを抱える彼が受けてくれたのだろう?その件は、僕がいない時に嫁さんが聞いてくれていたようで「楽曲に可能性を感じた」と言ってくれていたらしい。今回のレコーディングはいくらでも理由をつけて断れたはずだったし、多少お世辞を言ってくれたにしても彼はそう思ってくれているんだと思うと嬉しかった。

そう思うとカードに書く言葉も自然と長くなった。iPhoneに日本語で下書きして、嫁さんに翻訳してもらうことにした。日本ではもう年が明け、取引先も動き出しているため、多少連絡が飛んでくる。その対応もしてこの日は就寝。

Day23-2021/1/8

残りのノルマも2曲となった。だいぶ心が楽になってきた。昨日はビビってホテルの予約を保留にしたが、思い切って予約をすることにした。とは言ってもこの時期のニューヨークのホテルはコロナのせいでガラガラだ。中の下くらいのグレードのホテルを抑えた。

今日はMotionless Timeの録音をした。この曲はキー的にも非常に楽だ。1時間半程掛かったものの、割とさっくり録り終えることができた。

そのあとはギターを再び録音した。グシャグシャに歪んだファズの音をテクスチャーとして重ねる。素材取りに近い作業だ。こんな音が役に立つのかな?と思ったものの、後日ミックスが上がってくると納得の仕上がりだった。 曲によって各素材の強弱を調整して、ゲインコントロールしているようだった。全ての素材を自分で弾いたから、100%ではないがその押し引きは聴き取ることができたと思う。シンプルな楽曲の中に山ほど音が入っているが、お互いを邪魔していないのがすごい。

今日も早めに切り上げようとした時、ウィルのもとにクリスティーナから連絡が入り、何故か焦っている。写真を見せてもらうと、家の前に置き配されたアマゾンの箱が動物に食いちぎられ、中身が飛び散っていた。実はこの荷物の正体は味噌。お別れの前に家で味噌汁を作ってあげようと嫁さんが気を利かせ、アマゾンで味噌を頼んでいたのだ。それを野生のチップとデールが食ってしまった。東洋の神秘であるお味噌から、さぞエキゾチックな匂いがしたんだろう。笑い話ではあったが、綺麗なポーチに味噌がついてしまったので帰って掃除した。
おまけにウィルは防犯カメラを設置するようクリスティーナに頼まれていたのに先延ばしにしたせいで、置き配を取り逃がして事件が起こったと怒られてしまい。親切心からきたことだったとはいえ、申し訳ない結果になった。

その夜、前夜に書いた置き手紙を手書きでカードに清書した。長すぎる文章だったためカードは裏までびっしりになってしまった。僕の感謝が伝わればいい。

Day24-2021/1/9

いよいよ今日でスタジオ最終日。中盤は行くのもしんどかったが、終わりかけてしまうと名残惜しい。この日は昼ごろからスタジオにはいった。いつもより寝る時間が長く取れたので少し声にも余裕があった気がする。

アルバムの2曲目Deceptionを最後に録る。この曲はキーも楽だし、歌録りの中でも1番楽しんでできたと思う。あんなに嫌だった歌録りも終わるとなると寂しいが、終わった瞬間にプレッシャーから一気に解放され、本当にスタジオの中で飛び回って喜んだ。ついにやり切った!もう喋るのを我慢しないでもいいし、朝のシャワーで恐々と声出ししないでもいい。普通の生活は最高だ。

「じゃあ終わろうか、お疲れさん」とウィルに言われて、とても名残惜しい気持ちに。 最後にスタジオの中を1人で歩いた。ここまで音楽に没頭できた数週間は今までの自分の人生には無かった。たくさんインスパイアされた。次の目標はまたここに戻ってくることだ。それには純粋な感情や綺麗事だけでは済まない面も多々あるが、精進したい。心からそう思った。

最後に名物のスタジオのネオンの前でウィルと写真を撮った。この写真は一生大事にするだろう。改めて嫁さんにもお礼を言いたい。よくぞここまで付き合ってくれた。本当にありがとう。

明日はいよいよニューヨークへ旅立つ。3週間ほど滞在したフィリーとはお別れだ。夜、荷物をまとめ、客間やバスルームを掃除した。

Day25-2021/1/10

朝からさらに嫁と掃除。僕はズボラなので嫁さんに怒られる。
洗面所や、キッチンも感謝をこめて掃除した。「そんなにやらなくても良いよ(笑)」と言ってくれたが、もうウィルの性格が細かいのは充分わかったので、できる限りのことはしてあげたいという気持ちになった。

最後まで懐いてくれなかった愛犬のエラにも挨拶した。エラはBalance And Composureの曲名にもなっている、ウィル周辺では名物犬として有名だ。残念ながら、だいぶ老犬だった彼女は、僕らが帰国して程なく、この世を去ってしまった。彼女にとっては僕らが最後のお客さんだったのかな。全然懐かない変な犬だったけど会えてよかった。

昼まえごろ、4人でクリスティーナの車にのりニューヨークまで向かった。フィリーからは2時間かからないくらいの道のり、東京〜静岡くらいの距離感だろうか。 無事マンハッタンについてハングアウトした。

4人で音楽から離れて和気藹々と遊ぶのは2018年の東京や、京都以来で、この時でもう2年近く時間がすぎている。コロナのせいで世界も様変わりしたが、ひょんなことから出会ったアメリカ人と場所を変え、ニューヨークで時間を過ごすのはなんとも感慨深い。

この時期のアメリカはレストランの店内にはまだ入れなかった。テイクアウトするか、外の仮設席(海の家みたいな感じ)で凍えながら食べるしかない。しかしそこはニューヨーク、それでもさまざまバリエーションがあり、温室のような透明な個室席のある店を見つけ、そこで最後のディナーを食べた。コロナチャージなるものがあり、だいぶ良い値段のするレストランだったが、まぁそこは奮発。

フィリーへの帰り道は非常に渋滞するということ、次の日からウィルは別のレコーディングがあることなどもあり、19時ごろにホテルの前で最後の別れをした。名残惜しいことこの上ない。

今までこんなに人に感謝したことがあるだろうか。彼は無名の僕の夢を叶えてくれた。
そう思うともうダメで、英語も出てこない。かわりにマンハッタンのど真ん中で涙がボロンボロンでた。
ウィルも驚いていたが、1番驚いていたのはうちの嫁さんだった。彼女の前で泣くのは初めてだからだ。ウィルとクリスティーナと抱きしめあって別れを惜しんだ。
「また戻ってこいよ、君はブラザーだ」と言ってもらってまた涙が出た。書いていて相当恥ずかしいが、ここ10年で1番泣いたかもしれない。

車が見えなくなるまで見送って、アルバム”Otherside”のレコーディングは終わりを迎えた。まぁ、僕は終わりでもウィルはミックス〜マスタリングまでまだまだ作業があるんだが、そこは涙と共に見なかったことにしよう。
ここから数日しばし音楽から離れ、ニューヨークを楽しむことにする。

Day29-2021/1/14

ニューヨークを観光している最中に悲報が。帰国の際の入国規制が変わってしまい、自主PCR検査が義務化。日本語フォーマットの書類に医師のサインまで必要になる。

仕方なく、フライトの前日にJFKまで1度赴き、日本語に対応しているPCR検査を受けることに。これがまた高額で参った。UberでJFKに行くだけでもなかなか良い値段なのに追い討ちがすごい。しかも日本語のフォーマットの書類は適当にWordで作ったようなクオリティのPDFで、それに医師がボールペンで適当にサインする。こんなの自分で書いても一緒じゃないかとすら思うほどのものだった。それでも帰れないよりましなので渋々お金を払った。

Day30-2021/1/15

ついにアメリカを後にする。朝ホテルでコーヒーを飲んで空港へ向かうUberを呼んだ。
こんなに特別な旅がまた来るのだろうか?これが人生で最後だったのかもしれないとすら思うほど実りのある濃い旅だった。

前日のPCR書類も問題なく通過し、飛行機に搭乗できたが同意書もセットだ。内容は「もし、自粛期間を破って出歩き、クラスターを起こしたら実名報道します」という恐ろしいものだったが、こちらに選択権はない。

帰りも行きと同様、がらがらの飛行機にのって羽田についた。羽田空港で抗体検査を受け、1ヶ月間で4回目のPCR。この期間、誰よりもPCRを受けた自信がある。

入国も無事完了し羽田から1ヶ月ぶりに帰路につき、僕の大冒険はフィナーレとなった。

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